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渋沢栄一の銘板 [日本語教育]

新一万円札の顔に渋沢栄一が決まったのは2019年、明治から昭和の初めにかけて、日本の産業界をリードした実業家であるとはなんとなくわかっていても、聖徳太子や福沢諭吉のように具体的なイメージがわかなかったことを覚えている。確かに中学までの歴史の教科書に名前が載っていなかったと思う。たまたま出てきた息子の中学歴史の教科書をみるとやはりのっていなかった。歴史上の人物など受験勉強で覚えたものが多いと思う。教科書や授業が芯となっているのでピンとこなかったのかもしれない。
あれっと思ったのは、都内に住んでいても一度も使ったことがなかった都電荒川線に乗ってみようと友達と出かけた時の事。都電荒川線飛鳥山停留場でふとおりて、渋沢記念館をのぞいた時、渋沢栄一がかかわった事業が壁一面にびっしりと書かれていてびっくりした。金融、交通通信、商工業、鉱業、社会公共事業、国際交流、宗教、教育など社会活動のあらゆる分野に及んでいた。例)第一国立銀行(現みずほ銀行)や、王子製紙(現王子ホールディングス)、東京海上保険(現東京海上日動火災)、帝国ホテルなど、多くの企業の設立に関わっていた。人間業でないような気がした。かかわったものが多く、しかも、財閥を作らなかったので、なんとなくつかみどころがなかったのだ。今年のNHKの大河ドラマでは、渋沢栄一のことが取り上げられ、生家のある埼玉県深谷市の記念館や東京北区飛鳥山の渋沢資料館などで、もよおしも行われているようだ。渋沢のイメージがはっきりしてくるだろうか。
この話を友達にしたら、彼女の知り合いが西東京市にもある渋沢の足跡を調べて「めいばん」を作ろうとしているという。
「めいばん?」また、知らない言葉、辞書で調べてみると「銘板」だった。物の名前や来歴を書いたプレートのことだそうだ。金偏だから、金属製のプレートだ。
栄一は、元治元(1864) 年に渋沢成一郎とともに一橋家の家臣なり、兵隊の人選を行うためにともに一橋領を廻ったそうで、そのあたりのことを記した「銘板」を作る計画なのだろう。
大河ドラマはこれからちょうどそのあたりに差し掛かるようで楽しみだ。

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