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生える 生やす 生ける [日本語教育]

N1の漢字はやはりややこしい。
生える 生やす 生ける 
  生・・・生命の生 生まれるの読みもある。象形文字で草の芽が土から出て土から出て育つ様子を描いているといわれる。

*生える―植物などが地面から出てくる。カビが生える。毛や歯などが体から出てくる。
*生やす―自然にではなく生えるようにする。草などを自然の状態にしておく。
ひげなど剃らないでおく。
せる・させる の使役形を短くした「・・す ・・さす」のイメージ。
*生かす―①命を保つようにさせる。「殺さずに生かしておく」
②効果的に使う。「資格を生かした仕事をしたい」
*生ける―生かしておくために何かに入れる→切った(又は抜いた)植物を水の中(又土の )
に入れる。生け花という言葉があるが、活け花と呼ぶ流派もあるそうだ。
花を活かす(活用する)意味で使うのだそうだ。

「いける」には「埋ける」と書いて土に埋める意味もある。(野菜などを保存のために土に埋ける。炭火が長持ちするように灰に埋めておくなど)

学生には
生える・・自然に出てくる 
生やす・・使役形のイメージで自然の状態にしておく
生かす・・命があるようにする→効果的に使う
生ける・・生け花→花を生ける
とすっきりさせておこう。

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私たちは日本語を教えるかたわら、日本文化の紹介等の活動もしています
私たちのホームページは以下のサイトです。
https://ihongo-pc.sakura.n*e.jp/learn.htm
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ブラジルの親戚の名前 [日本語教育]

私の父の兄は戦前にブラジルに移民した。何せ遠いし今のようにメールで頻繁に連絡できる状況でもなかったので、親戚とはいえ、あまり付き合いはなかった。私が子供の頃、いとこの女性が日本ブラジルの親善大使として日本に来た。私たちも一度旅行でブラジルへ行き、親戚だという家々をあわただしく回ったくらいの関係。

それが、先日その孫の世代に当たる夫婦が3人の子供を連れて一年かけた世界旅行の途中で日本に立ち寄った。九州から京都などを見ながら北上し東京では北区にある外国人旅行者用のアパートメントに泊まったそうだ。新宿で私や弟の家族と食事をしたが、その時、子供たちの名前を漢字で書いてあげたいのだがと頼まれた。

翌日我が家に来て。子供たちは孫たちと公園で遊び、親たちはまず子供のローマ字名に漢字を当てはめることから始めた。
ローマ字ではあるが、一応日本の名前が付けられているのは、彼らの日本へのこだわりなのだと思って、うれしかった。
漢字の意味を説明しながら、二種類の漢字名から選んでもらった。
お母さんはNAOMI ナオを直にするか?尚にするか?迷っていたが、わたしが尚子なのを知ると尚美に決めた。
子供たちはそれぞれ
彩(aya) 彩=color beautifly good taste
佳織(ka ori) 佳=good elegance   織=fabric 佳人=beauty
恵美(e mi)恵=blessed grace 美=beauty

そのうちにポルトガル系の御主人にも漢字を当てたいと言い出した。Fabricio愛称は
Briブリ フィッシングが趣味、科学者でもあるので魚の先生(師) 鰤となった。
最後に苗字は「Pinheiro」松の仲間の植物らしいので 松さんにした。

しばらく筆書きの練習をして、自分たちの名前を色紙に書いて持って帰った。
見た目はしっかりブラジル人なんだけど、どこかで日本を大事に思っているのがうれしかった。今はWhatsApp で簡単に連絡が取れるようになった。ブラジルが近い国になった。
彼等はこれから中国に行きユーラシア大陸を横断してブラジルに帰っていくようだ。
心から「良い旅を!」といいたい。

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補助動詞の「やった」 [日本語教育]

NHK大河ドラマの影響で、買ったけれど途中でやめていた蜻蛉日記(円地文子訳)を再読した。恋文だけでなく、ちょっとした話や食べ物や花などを遣いの者に託して、やり取りしている。私たちがメールをやり取りするくらいの頻度で。遣いの者たちは大変だったろうなと思う。ほとんどの場合57577の和歌が添えられている。呼吸するように和歌を詠んでいる。また、すごくプライベートなことが書いてあるのにこのような日記が公開されて貴族たちの間で読まれ、それをお相手の藤原の兼家も公認、むしろ自分の和歌のレベルを見せたかった節もあるというのが、面白い。

その中の手紙のやり取りで、「・・・・と書いてやった。」の「やった」が気になってしまった。文脈から、書いて送ったという意味は分かるのだが、ちょっと軽いけんか腰という皮肉っぽいな内容だったので補助動詞の「やった」じゃないのかと読めた。

現代語では「書いてやった」は思い通りになったり、うまくやり遂げたりしたときに発する語だ。難しい内容を「書いてやった!」と言う。また、意地悪をして成功した場合にも使われることがある。

古文の文法を見ると補助動詞に上の使い方はなかった。
「見やる」のように、そちらの方へ向ける意味と、「いいもやらず」のように、すっかり最後までやる(いいもやらずの場合は最後まで言わないでの意味になる)の二つの使い方だけだ。

現代文の「書いてやった」に当たるところを古文で見てみると「とてやりつ」とだけあり、書いて送ったの意味しかないことはやはり確かだった。
例えば:
十日ばかりありて文あり。なにくれといひて「帳の柱にゆひつけたりし小弓の矢取りて」とあれば、これぞありけるかしと思ひて解きおろして、
 「思ひ出づる時もあらじとおもへども〈後拾作みえつれど〉やといふにこそ驚かれぬる〈れカ〉」
とてやりつ。
とか。

「てやりつ」とあるものも、「送ったという意味しかなかった」
まして我が心ちは心細うなりまさりていとゞやる方なく、人はかう心細げなるを思ひてありしよりは繁う通ふ。さて寺へものせし時、
 「はちす葉の玉となるらむむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな」
と書きてやりつ。
(母の形見の袈裟を見て涙にくれているのと、朝露、浄土の蓮にかかる露を掛けた歌)

古文を読むのはなかなかハードルが高いが、一部分でも古文のままで読んでいきたい。
また、筆書きをしながら読んでいくのもいいので続けよう。


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