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中動態 [日本語教育]

中動態

chudou.jpg日経の文化欄に「中動態の世界」(国分功一郎)が取り上げられていて、「かつて
インド・ヨーロッパ語圏には中動態という能動態でも受動態でもない言い方があったということが書いてあった。
初めて聞いた言葉だったので調べてみた。

能動は「与える」「打つ」などのように意志を持って何かをすること。中動は述語には「想像する」「寝ている」「座っている」などのようにその動作主がまさにその過程の内側にあることを示す。自分で何か行動し、他者が動くのが能動、自分で行なった行為がそのまま自分の状況に還元されるものが中動。(この中には相手の影響を受けて自分が変わる受動態が含まれていた)この2つの対立によって整理されていた言語体系があったそうだ。ヨーロッパでは自我意識が確立していく過程で本人の意思と責任が重視され能動態と受動態だけになっていったという。

主語を書かない文章が成立可能な日本語では中動態的な言い方が今も多いという。
婉曲表現などで使われる自発動詞や自発の助動詞などがそうなのだろう。
・古文の「ゆ」の使い方がそれにあたる。
「見ゆ」・・自発の「見える」,「思ほゆ」・・自発の「思われる」
・「できあがる」「さずかる」・・誰かが作り誰かがあげたわけだが、誰が作った誰がくれたかは問題にならない。
・「間もなくドアが閉まります」・・・「本当は放送している人がドアを閉める」
これはN3の読解練習に出てきた日本的な表現の例だ。


ネットで探してみると、中動態的な考え方は責任があいまいになるともいえるが、よわい個人に責任を押し付けない優しさがあるとも言え、精神療法にも使われるという國分功一郎氏の対談記事もあった。
http://igs-kankan.com/article/2019/10/001199/

直接日本語教育にはつながらないが、心得ておくべきことだと思った。



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