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一隅を照らす [日本語教育]


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アフガニスタンで医療と用水路建設などの人道支援事業を30年間続けてきた中村哲医師が
銃撃されて命を落としたという悲しいニュースが入ってきた。私は中村医師を支援するペシャワール会に少額ではあるが20年寄付を続け送られてくる会報を読んできた。灌漑施設の整備が進み農地が広がってきていたのに、本当に残念だ。
中村医師の言葉として「誰もが行くところには誰かが行く。誰もが行かないところにこそ我々に対するニーズがある」というのが有名だ。数年前にスタッフの日本人が武装勢力に誘拐されて殺されて以降、日本人を全員帰国させ、お一人で現地スタッフと頑張っていらしたはずだ。ご冥福をお祈りいたします。

新聞に中村医師が大事にしていた言葉は「一隅を照らす」であったと出ていた。たとえ片隅であっても、自分がいる場所でできることを精いっぱいやるという意味だ。

この言葉は最澄の著書「山家学生式」の中の言葉から来ているようだ。
(最澄が人材養成を目的として嵯峨天皇に提出した文書。奈良の旧仏教の制度下から脱し,完全に独立するために比叡山に大乗戒壇を創建するという内容だ。)

「径寸十枚非是国宝。照千一隅是即国宝。」
「直径3センチの大きい宝石は国宝ではない。一隅を照らす人が国宝だ。」という文だ。

今回ネットでいろいろ調べてみると、千を于(書き言葉に用い,(動作・事態の発生する場所・時間を示し)…で,…に,…において.)と読みかえている解釈であるということが書いてあった。最澄の筆跡からは「千」と読めるそうだ。

===例えば、真言宗法楽寺のページhttp://www.horakuji.com/lecture/nippon/sangegakushoushiki/1.htm#ALPHA
「照千一隅叫即国宝」は「一隅を照らす人が国宝である」と読まれているが
「一隅を守るは千里を照らす」つまり「千里を照らす一隅を守る人が国宝である」
という解釈が正しいそうだ。この文は中国の古典がもとになっていて、内容はこちらに合致している。
また天台宗の「摩訶止観」にも「照千里守一隅」(一隅を守り千里を照らす)という言葉があり「照千一隅叫即国宝」と対応している。

中村医師の「一隅を照らす」その働きは千里を照らすことになっていたと思う。まさに国宝だ。

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