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什宝(じゅうほう) [日本語教育]

法事で行った山梨の吉田の駅名「月江寺」の由来を調べていたら、臨済宗の寺で本尊は地蔵菩薩、富士山信仰にもかかわりのある寺だそうだ。今度山梨へ行ったら訪ねてみたい。
ウィキペディアに「月江寺には多くの什宝が伝来している」という文があった。

什器は日用の道具と知っていたが、什宝は知らなかった。日常の宝ではおかしいなと思って調べてみた。

漢和辞典
什  ①十と同じ意味
   ②十人で組み合わせた団体→たくさんあるものをいう
   ③詩経で十篇を一巻とするので詩を表す

什  1 軍や隣組の組織で、十人一組の単位。「什伍 (じゅうご) 」
   2  ふだん用いる器物。「什器・什具・什物 (じゅうもつ) /家什」
   3  什編でひとまとまりの詩歌。詩編。




什物(じゅうぶつ)には二つの意味があった。
         ①日用の道具
         ②秘蔵の宝物→什宝 ・・・ これが上の什宝だ


「什」は十の意味に加えて日常と秘蔵の両方の意味を持つようだ。
そして、1つや2つなどではなく10を単位として数えなければならないほどたくさんで雑多であることも表している。 

多くの什宝、つまりたくさんの価値ある品物が月江寺に伝わっているのだろう。



十と言う漢字があるので、今は特別の単語以外は什を使わなくなっているようだ。
十能.png
十を使う言葉で十能という「小型のスコップのような形をした、火のついた炭や灰を運ぶための道具がある。農具・スコップとして使ったり、いろいろな使い方ができるから「十能」なのかとも思うが、そういうわけでもないと書いてあるサイトがあったが、よくわからない。
IMEでは什の字はあるが、十能は十能としか表示されない。浅香工業株式会社という会社では製品に金象印什能とつけてあったので、何故かちょっと嬉しかった。


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直会(なおらい) [日本語教育]

日本語教師を始めたころの教え子に優秀な韓国人の女性がいた。昔の日本語能力試験1級で全国一位になったことを記憶している。彼女は熊本の老舗旅館の跡継ぎ息子と結婚し、熊本で旅館の女将を務めることになった。今は、女将の組合の活動やや日韓交流でも活躍している。そして今熊本の新聞の「私を語る」欄に自分の来し方を連載している。

思い出話の中に熊本大学民俗学部で卒論を書いたときのことがあった。日本の文化や神事を学ばないと女将はできないということで神社や祭りについての論文を書いたそうだ。
「卒論作成では、先生をはじめ、多くの先輩や友だちの助けを借りました。神社や祭りに関する用語の読みは特殊で、外国人にはかなり難解でした。例えば手水舎[ちょうずや]、注連縄[しめなわ]、御神酒[おみき]、柏手[かしわで]、神馬[しんめ]、山車[だし]、直会、流鏑馬[やぶさめ]など。・・・」

ここを読んでいて直会[なおらい]という言葉を知らなかったことに気づいた。
新明解には「直る」の変化=「直らふ」連用形「直らひ」の名詞用法、祭りの儀式が終わった後、供物や酒のお下がりを参列者一同で分けて食べる宴会のこととあった。

仏教の精進落としの様に神聖な行事が終わった後に、日常生活に戻るという意味もあるようだが、実はもっと深い。神様に備えたものを皆で分けあって食べるという神と人との共食によって神の力を分けてもらう意味があるようだ。神様に備えたものを皆で食べるということは知っていたがそれを「直会」という言い方は、初めて知った。彼女はもう何十年も前に知っていたんだなとちょっと感動した。

日本語学校の講師をしていてうれしいことの一つは、昔の学生の活躍を知ること、連絡が途絶えない昔の学生がいることだなと思う。

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井の読み方 [日本語教育]

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年末の茶会は「井心亭」という茶室で行われた。三鷹市にあるこの施設は昭和58年に持ち主から寄贈された茶室を中心とした純和風文化施設で、茶道、華道、歌会などの日本の伝統文化の活動の拠点になっている。汲めども尽きぬ泉のように文化を愛する心が広がってほしいという意味、公募でつけられた「井心亭」という名前は素敵なのだが、初めから「せいしんてい」と読める人はあまりいない。

今回初めてここでのお茶会に参加した人は、皆「いしんてい」だと思っていたそうだ。
「井」の字は「市井(しせい)の人」などで使うように音読みは「せい」ですというと、皆さん納得してくれたが、物知りの若者が『(せいあのけん)の「せい」ですよね。』と突っ込んできた。それ何と聞くと「井の中の蛙大海を知らず」の意味、「井蛙之見」だった。そういわれると分かるが、「井蛙之見」の四字熟語は使ったことがなかった。若い人に教わることも多い。
この度調べてみたら、蛙の音読みは「あ」と「わ」今の中国語に近いのが「wāわ」だ。
井は、井戸枠の形からできた文字、井戸があり水があるところに人が集まり市ができた。市井は人の集まる世間、街中、庶民の意味を表す。

今、井心亭では、お茶会だけでなく、寄席井心亭として寄席なども行われ、予約がいつも満杯だ。それにしても、いい名前を付けたものだと改めて感心した。

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仝上   同上 [日本語教育]

父が残した古い文書を整理していたら、仝校卒業という記述が出てきた。
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同校と同じ意味だとは分かったが、最近使っていない字だと思った。夫に聞くと「仝上」は
「同上」の代わりに会社の書類などでよく使うという。
IMEパッドの手書きをしてみてもこの字は出てこなかった。漢和辞典には人偏の5画にあり、同と同じという説明があった。
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IMEパッドで出てこないのは、日本語の文字をPCで書き表すためのShift_JISに含めなかったからだそうだ。JISの記号の場所に分類されている。々、ゞなどと同じ扱いだ。
ウィキペディアでも、踊り字扱いになっていた。
しかし、文字コードの国際的な業界標準の一つUnicode ではCJK統合漢字という漢字の分類の場所に入っている。
この違いが面白い。
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中国語の辞書では 人部でなく、入部に入っている。(ちなみに日本語では入部の仝は「同」ではなく全の略字になっていた)
中国語の辞書には「同の略字」の他に「人名漢字」としても載っていた。調べてみると「8世紀後半から9世紀前半の中唐の詩人、盧仝(ろどう)がいた。陸羽と並んでお茶の聖人と呼ばれる人だそうで「七碗茶詩」でお茶の心を詠んだ。これも、後で調べてみたい。http://japanese.china.com/travel/recommend/393/20141203/225066.html

確かにこれは、記号ではなくて漢字そのものだ。
IMEパッドでは出てこないが、同上と打ち込むと最後の方に仝上が出てくるのは、夫が言うように、会社や役所などの固い文書にはよく使われているからだろう。
でも、学校で同僚に聞くと今日の人は全員見たことがないと言っていた。30代と50代、学校では使わない漢字?


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一隅を照らす [日本語教育]


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アフガニスタンで医療と用水路建設などの人道支援事業を30年間続けてきた中村哲医師が
銃撃されて命を落としたという悲しいニュースが入ってきた。私は中村医師を支援するペシャワール会に少額ではあるが20年寄付を続け送られてくる会報を読んできた。灌漑施設の整備が進み農地が広がってきていたのに、本当に残念だ。
中村医師の言葉として「誰もが行くところには誰かが行く。誰もが行かないところにこそ我々に対するニーズがある」というのが有名だ。数年前にスタッフの日本人が武装勢力に誘拐されて殺されて以降、日本人を全員帰国させ、お一人で現地スタッフと頑張っていらしたはずだ。ご冥福をお祈りいたします。

新聞に中村医師が大事にしていた言葉は「一隅を照らす」であったと出ていた。たとえ片隅であっても、自分がいる場所でできることを精いっぱいやるという意味だ。

この言葉は最澄の著書「山家学生式」の中の言葉から来ているようだ。
(最澄が人材養成を目的として嵯峨天皇に提出した文書。奈良の旧仏教の制度下から脱し,完全に独立するために比叡山に大乗戒壇を創建するという内容だ。)

「径寸十枚非是国宝。照千一隅是即国宝。」
「直径3センチの大きい宝石は国宝ではない。一隅を照らす人が国宝だ。」という文だ。

今回ネットでいろいろ調べてみると、千を于(書き言葉に用い,(動作・事態の発生する場所・時間を示し)…で,…に,…において.)と読みかえている解釈であるということが書いてあった。最澄の筆跡からは「千」と読めるそうだ。

===例えば、真言宗法楽寺のページhttp://www.horakuji.com/lecture/nippon/sangegakushoushiki/1.htm#ALPHA
「照千一隅叫即国宝」は「一隅を照らす人が国宝である」と読まれているが
「一隅を守るは千里を照らす」つまり「千里を照らす一隅を守る人が国宝である」
という解釈が正しいそうだ。この文は中国の古典がもとになっていて、内容はこちらに合致している。
また天台宗の「摩訶止観」にも「照千里守一隅」(一隅を守り千里を照らす)という言葉があり「照千一隅叫即国宝」と対応している。

中村医師の「一隅を照らす」その働きは千里を照らすことになっていたと思う。まさに国宝だ。

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